比叡とは?
比叡と言えば、第三次ソロモン海戦第一夜戦という混乱の中で、日本海軍で一番最初に沈んだ戦艦です。その最期がとても印象的でした。諸説色々ある中でこの説は薄いとされています。雪風による雷撃処分のお話。
敵の集中砲火を浴びて操艦不能になり、機関が死んでしまったと判断されました。比叡と共に沈むことを願う艦長を引きずりだします。機関故障は誤報だと聞いた艦長は雷撃処分を止めようと部屋を飛び出し時、雪風から発せられた魚雷発射管の音を聞いた。
この機関が壊れておらず、ただ一時的に機能を失っていたこと、艦これで比叡が発する
「んぅ…はっ!何ですか!?寝てません!寝てませんてばぁーっ!」
という台詞に繋がっています( ゚ω゚)
そして、比叡を敵に見つけられて情報を与えるべきではないという意見もある中浮いていればデコイにはなるだろうと見捨てられた。数時間後に雪風らが現場に戻ると、そこに比叡の姿はなかった…。
夜戦でのことからか、艦これの比叡が夜戦開始時に放つ台詞
「私! 頑張るから! 見捨てないでぇー!!」
に繋がっています。
史実を基にした台詞なのだと、歴史好きの心が動いた瞬間でした。
実際には、雪風の雷撃処分があったわけでもなく、艦長は自分の意志で退艦しています。小説とかが混ざってる感じなんでしょうかね?
故ポール・アレン氏を引き継ぐチームが捜索中
昭和17年11月の第三次ソロモン海戦で連合国の艦隊の攻撃を受けて航行不能となり、最期はみずから船内に水を入れて沈んだとされてきました。
ところが、NHKが、広島県呉市の大和ミュージアムの館長で、旧日本海軍の歴史に詳しい戸高一成さんに映像を分析してもらったところ、船体のおよそ3分の1が切断されているとみられ、大きな爆発によって沈没した可能性が高いことが初めてわかりました。
引用元:https://www3.nhk.or.jp/news/(NHK NEWS WEB)
そんな比叡ですが、去年10月に亡くなったポール・アレン氏の遺志を継いだチームが、太平洋戦争で沈んだ艦の捜索を続けています。
比叡は沈没するときの様子を目撃した人がいないため、どのように沈んだか謎とされてきました。今回の発見は最期の様子を知る手がかりとして期待されています。
ポール・アレン氏を初めて知ったのは、これまた艦これの話になって申し訳ないのですが2017年秋イベントのことでした。そう、レイテ沖海戦をモチーフとした僕が最初に参加したイベントです。
「扶桑」「山城」「最上」「朝雲」「山雲」「満潮」「時雨」の7隻からなる西村艦隊が主役のイベントでした。そして、そのイベントの最中にポール・アレン氏がスリガオ海峡で「扶桑」「山城」「朝雲」「山雲」「満潮」を発見。レイテ沖海戦のスリガオ海峡で沈んだ西村艦隊を見つけたということで、一時的だったものの話題になっていたので知りました。
「艦これ」今季秋イベ作戦完了は【12/11(月) 11:00】予定です。先日遥かスリガオ海峡において、戦艦「山城」及び駆逐艦「朝雲」の可能性が高い艦が発見されました。直接関係はありませんが、感慨深い思いになりますね。哀悼と祈りを込めて、一日一日を大切に今を頑張ってまいりましょう。#艦これ
— 「艦これ」開発/運営 (@KanColle_STAFF) 2017年11月29日
サボ島の北西、深さ985mで発見されたそうですが…。一隻でひっそりと沈んだと思われた比叡の真実、壮絶な最期が明らかになりました。
参考外部サイト
- 戦艦「比叡」見つかる 太平洋戦争中に沈没 謎の解明も…(NHK NEWS WEB)
- 沈没の戦艦「比叡」発見 南太平洋で米調査チーム(日本経済新聞)
- 戦艦「比叡」の船体発見 ポール・アレン氏の調査チーム(産経新聞)
